ういろうを徹底解剖!

名古屋ういろう御三家?

どこが元祖なのか?で、ういろう戦争は続いている?

とらやういろうういろうというと、今ではすっかり名古屋名物のひとつになってしまっているが、実は各地に昔からういろうはあって、それぞれが「我こそが元祖である」と、独自に主張を繰り広げている。 商標などをめぐり訴訟にまで発展したこともあるほどだが、熾烈な「元祖」の地位をめぐる争いも今のところは一旦沈静化しているようだ。 では、実際にはどこが『本物の元祖』なのだろうか? その前に、ういろうというものは、いったいいつ頃からあるものなのだろうか?
室町時代には存在したと言われていて、当時のものは、米粉などの穀粉に黒砂糖を練り合わせ、蒸して作られた「黒糖ういろう」であったろうとされる。 その頃が発祥とすれば、当時中国から博多に亡命してきたとされる陳宗敬の子である宗奇が、足利義満に招かれて上洛した際、外郎薬を献上したときに口直しに添えたとされる菓子に由来するという説がもっとも起源として濃厚だと考えられる。 そうなると、発祥の地は最初に陳家が過ごした博多ということになるし、最初にお披露目をしたのが京都だとすれば、京都が発祥となる。
証拠として認定されるものではないかも知れないが、陳宗敬がいた福岡市の妙楽寺では、「ういろう伝来之地」の石碑が1987年に建てられており、博多起源説を後押しする形になっている。

今、起源も合わせ、ご当地グルメとして猛烈にアピールしているのは、名古屋、小田原、そして山口なのだが、起源が博多か京都だとすると、これらのご当地アピールは全く意味のないものになってしまうのか?

起源など問題にしない名古屋グルメ

小田原には、ういろうの元祖を標榜する外郎(ういろう)家の末裔(=小田原外郎家)が現在小田原市に存在することから、「小田原起源説」が大いに盛り上がった時期があったが、これは当の外郎家が否定しているほどで、起源説を助けるものにはなっていない。
山口ういろうは、室町時代に周防山口の秋津という人が現在の製法を考えたとする説もあるようだが、残念ながらこれも歴史的経緯は定かではない。

そして、名古屋だが、尾張藩第二代藩主・徳川光友に仕えた陳元贇からういろうの製法が伝えられたという伝承もあることはある。 これも同地区で最初にういろうを作ったのが1659年(万治2年)創業の餅文総本店とされ、最も古い製造販売店でその辺りなので、とても起源説を唱えることはできないが、よくよく考えてみれば、名古屋人の誰も「ういろうは名古屋が起源だ」などと主張してなどいないのである。 現にそんなことは問題にもされないほどに、今では日本中の人の殆どが、「ういろうは名古屋名物だ」と認識しているのだから。 そうした意識づけができたのは、名古屋人ならではのビジネス手法のおかげだったことは有名である。

「ういろう」レポート 

青柳ういろうその名古屋発のビジネス手法として有名なのが、「青柳ういろう」の青柳総本家。
明治12年創業だが、テレビCM(♪〜白・黒・抹茶・小豆・コーヒー・ゆず・さくら、青柳ういろう〜のCMソングは誰でも知っている)と、名古屋駅プラットホームでの立ち売り、新幹線開通後の車内販売などでういろうが名古屋名産品として名前を売り、大成功をおさめた。 それらは青柳ういろうこそが名古屋の最大手であるかのように全国に印象付けたが、もちろん名古屋でういろうを製造しているのは青柳総本家だけではない。

餅文 徳川御三家言えば、尾張・紀州・水戸だが、その尾張藩主に献上し、賞揚されたことを由来に持つ「献上外良」などを製造販売しているのが、名古屋の最古参「餅文本店」だ。 先にも書いたが、この地域で最初にういろうを作ったとされる老舗なのであり、今もいくつも支店を持ち、いろいろなタイプのういろうをつくり続けている。 他のういろう製造元に比べると、ワンランク上品な感じがするのは、決して老舗の風格だけではないだろう。

もうひとつ、昭和24年創業の「大須ういろ」もはずせない存在だろう。 ういろうを「ういろ」の名称で商標化して製造販売を行っていたり、ういろうにこし餡を加えた「内良(ないろ)」、ういろうを3層に重ねた「味(み)いろ」など、違ったアプローチでういろうに取り組んでいる。

■ライバルの存在を認めつつ、差別化を図る名古屋ビジネス

これらを名古屋御三家と呼んだとしても、誰も異論は唱えないだろう。 どこも、独特な立ち位置を守っていて、同じ「ういろう」という商品を扱っていながら、それぞれが共存できるスペースをしっかりと確保しているのである。 これは、ある意味、名古屋の他の業種でも見られる傾向で、ライバルの存在を認めつつ、創意工夫とサービスなどで差別化しつつ、共存共栄を図っている。 たかだか(と言っては失礼かも知れないが)ういろう専門でこれだけの規模のビジネスに仕上げ、数多くの年輪を刻み続けているのを見ると、そこに生かされている多くの知恵と努力の中に、名古屋ビジネス反映の秘密が隠されているように思えてならない。